現代社会で大切なことは心の底から「ごめんね」が言える人間

素直に「ごめんね」が言える方の重要性について

2019.04.10


ここ最近世の中では感謝される様な明るいニュースに比べて「謝れ」「反省しろ」と言った暗いニュースの方がメディアでは伝えられることが多いです・・・

喜びよりも怒りを取り上げた出来事の方が視聴者側は盛り上がるからメディア側も選定して出している可能性があるのかもしれませんが、それにしてもネガティブ性の強いニュースをよく見かけます。

そんな中思うのが、ネガティブ性の強いニュースが多いと言うことは、謝罪することが必要になります。

その為、何よりも謝罪が必要になることが多いから「ごめんね」と言う一言を伝えなければいけないのに謝罪が上手く伝わらないことが多く見られます・・・

結果的に「ごめんね」が人に伝わらず、さらに批判にさらされてしまう可能性もあります・・・

そこで、今回は謝罪の為に必要な「ごめんね」が言える人間の尊さについてお話ししていきたいと思います。

「尊さ」と書くと大袈裟に見えますが、大人になればなる程「ごめんね」から逃げる方が多い為、心の底から「ごめんね」が言える方はとても人間的に出来た方が多いことから尊さと表させて頂いております。

謝ることが必要な時代になってきた?

ここ最近の世の中は、何だか「イライラ」している「せかせか」している方が多い様に感じるストレス社会が現在の世の中だと思います・・・

そんな中で「不正」「不満」「不服」「不合理」「不条理」「不倫」等の話題をメディアで見かけることが多く、プライベート面でも「理不尽」な出来事が多いと愚痴を言いたくなることは多くありませんか?

どんな方にもある「不」の付くネガティブなキーワードと付き合い続けなければいけない中で、ご自身でも人に不の付くネガティブなことをしてしまっている時もあるかと思います・・・

ストレス社会の中で生きていれば、相手に嫌な想いをさせてしまうのはしょうがないことではありますが、大切なのは嫌な想いをさせたことに対して「ごめんね」の一言を心の底からお伝えすることが重要です。

ただ、大切なのは誠心誠意な気持ちで「ごめんね」を伝えることなのに、素直な気持ちで「ごめんね」が言えない方が増えてきているのではないかと思います・・・

「ごめんね」を素直に言えず上手くいかない

ストレス社会の中で普段からイライラしていると、自分が謝る立場になることで「ごめんね」の一言に対して素直な謝罪が出来ないことが多くなるかと思います・・・

そうなると「謝罪した側」と「謝罪された側」どちらも気分良く終わらない、もしくはどちらか一方が気分良く終わらずに、上手く物事が決着つかないことが多々あります・・・

素直に一言「ごめんね」が言えれば物事が上手く収まるのに「ごめんね」が言えないことが心苦しくもあり「ごめんね」の一言を言えない理由があるのかとも思います・・・

人には人の事情があり、素直に物事を進めていけない理由があったりするかと思います・・・

今まで生きてきた人生が長ければ長い程、「譲れない想い」や「自分の意思」があることから「ごめんね」が素直に言えない立場にある時もあります・・・

「ありがとう」は気軽に言えるけど「ごめんね」は言い辛い

「ごめんね」の対比にある言葉「ありがとう」と言う言葉ですが、「ありがとう」は「言う側」「言われる側」共に不快な想いが無いことから気軽で素直に想いを伝えることが出来ます。

その為「ごめんね」に比べて言いやすい言葉「ありがとう」もとても大切な言葉ですが、素直に言える「ありがとう」に比べると「ごめんね」と言う言葉は、自分からは言いたくない言葉です。

その為、とても繊細な言葉であり、今の時代「ネガティブなこと」「気に入らないこと」が多い中、「ごめんね」と言う繊細な言葉に対して気を使わなければいけないのではないかと思います。

「ごめんね」は本当に言い辛い言葉でありますが「ありがとう」同様、素直に言える人間になれることが重要であるかと思います。

捨てるべきプライドを捨てられれば「ごめんね」を言える人間

ここまで「ごめんね」は言い辛い言葉であるとお伝えしてきましたが、それではどんな形で「ごめんね」を伝えれば良いのでしょうか?

簡単に書きますが非常に難しい「プライドを捨てること」が重要になります。プライドを捨てることって正直とても難しいことです・・・

これは自分の体験ですが、「今まで同じ立場にいた人間の下で働く」「元々部下だった人間の元に、今度は自分が新しい社員の様な立ち位置で戻った」体験がある立場としては、一定のプライドを捨てたことがありました・・・

「同じ立場にいた方」「元々部下だった人間」から嫌がらせされる様なことはありませんでしたが、今までの立場上「楽な付き合い方が出来ていた人間」と距離感が大なり小なり出来上がった事で、プライドを捨てた経験がありました・・・

ただ、「プライドを捨てろ」と言っても仕事に対して全てのプライドを捨てなければいけないと言う訳ではありません!!

自分を見失う様なプライドは捨てるべきでない

プライドを捨てるって、理不尽なことであってもプライドを捨てて屈辱を味わってでも我慢して「ごめんね」を言わなければいけないのでしょうか?

個人的には屈辱を味わう位にプライドを捨てるのならば、変に我慢しないでも良いかと思います!!

今の時代「我慢が正義」と言う考えがそこまで正しいとは思いません・・・

仕事の選択幅が増えた分、屈辱的なプライドを捨ててでも「ごめんね」を言い続けて体を壊してしまう位なら、我慢し続けずに謝るだけ謝ってその職場から離れるべきだと思います。

前述でお話しした通り現代は「ストレス社会」の中で自分を捨てて体を壊す様な状態になるならば、謝り勝ちで「ごめんね」の一言で逃げ出した方が良いと思います。

ただし、謝るならば「適当な態度」「嫌々な態度」で謝るのではなく、屈辱を味わせてくれた人間に対して「精神力が強くなった」「これからの自分の糧になる」位の余裕を見て「感謝のありがとう」を伝えてみてはいかがでしょうか?

プライドの捨て方は自身の想像力が重要

ここまで捨てても良いプライドは捨てて「ごめんね」を言う為に必要な感情のプライドは捨てずにいくことが大切であると説明してきましたが、プライドの捨て方にルールはありません。

マニュア通りにプライドを捨てることが出来れば簡単でしょうし、プライドの捨て方にルールはありませ。

ただ、プライドを捨てる為には、ご自身が「ごめんね」を言って「メリットになる」「得をする」「成長する」と言ったことが想像出来ればプライドを捨てられることが出来る環境が出来上がってきます。

ご自身の未来が明るくなる想像が出来、将来設計が出来る様であれば謝罪が出来ないプライドを捨てましょう!!